加賀谷果歩(かがや?かほ)さんは、コミュニティデザイン学科でまちづくりやデザインを学び、現在はNPO法人ソーシャルデザインワークスに所属し、障がいがある方の自立訓練(生活訓練)、就労移行支援、就労定着支援を行うSOSIALSQUAREいわき店 で福祉の現場に携わっています。福祉への関心の原点は、小学生の頃のモヤモヤした思いの残る体験だったといいます。ご自身のこれまでの体験や、現在の仕事のなかで役立っているコミュニティデザイン学科での学び、今後さらにやってみたいことなどについてお話をお聞きしました。
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まちの人たちの困り事に伴走せよ、と教えてくれたコミュニティデザイン
――まず、現在のお仕事内容を教えてください
加賀谷:ここでは、私たち支援員は「クルー」、利用者の方は「メンバー」とお呼びしているんですが、基本的にはこの場所にいらっしゃるメンバーさんの自立訓練や就労移行支援という福祉の支援を行うのが今のメインの仕事です。
私はコミュニティデザインやまちづくりを大学で学び、福祉の勉強は特にしてこなかったので、ここに来るまでは、精神障害や引きこもりの経験がある方と自分とはちょっと違うのかなと思っていたところもありました。でも、話してみると何も変わらないばかりか、むしろ人生経験では先輩だったり。
――お仕事で心がけていることはありますか
加賀谷:すべてのメンバーさんと、対等に接することは基本として心がけていることです。こうした仕事の考え方と大学で学んできたこととは、実はとても近いと感じることが結構あります。
例えば、コミュニティデザインというのはまちの課題や困っている人たちの悩みを解決してあげるんじゃなく、まちの人たちと伴走して一緒に解決していくことだと教わってきたんですね。この仕事もまさにそうで、相手が求めることをしてあげるというより、どんな困り事があるのかを聞き、話すなかで自己の特性と向き合っていただく。そのなかで、その方に合った目標や周りに求める配慮を一緒に考えていくんですね。人それぞれに違って正解はないので、私たちもいつもその都度一緒に考えるというかんじです。
――この仕事を選んだきっかけは、どのようなことだったのでしょうか
加賀谷:まちの最小単位は人で、いろんな人の幸せや健康があるから地域が幸せになるのであれば、人をまず知らなければと大学時代に思ったんですね。コミュニティデザイン学科でやってきたワークショップでは、みんなで話し合ってみんなの意見が取り入れられているようでありながら、実は聞きとれなかった声もあるような気がしていました。福祉という、一人ひとりに真剣に向き合うところで、人の心や暮らしというものをよくよく見つめてみたいなあと思ったのが、この分野を目指す大きなきっかけでした。
その後、就職活動のときに求人情報サイトで「福祉×まちづくり×デザイン」というテーマを掲げているソーシャルデザインワークスの情報を見つけたんです。そもそも私の父は福祉施設で働いていて、幼い頃から父の仕事終わりを施設の中で待つときなどに、知的障害のある方々とも関わってきていたんですね。
小学校のときには、特別支援学級の子たちが給食や遠足の時間にクラスに混ざって一緒に活動することもありました。そのときには、特別支援学級の子たちが私に近づいてきてくれることが多かったんです。すると、クラスの他の子たちが私から距離を置いているのを感じたりしていました。そのときのモヤモヤした気持ちを当時は言語化できなかったんですが、なにか心にひっかかっていたんです。このモヤモヤの正体が今ならわかるかも知れないという思いもあって、ソーシャルデザインワークスを選んだようなところもありました。
――実際に働くなかで、大学での学びが役立つ場面はありますか
加賀谷:ありますね。今年の10月から就労移行支援の担当に変わったんですが、9月までは1年半ほど自立訓練の現場で生活支援員のクルーをしていたんです。自立訓練では、自由にお話をしたりその日のカリキュラムに取り組んだりするんですが、さまざまな障がいがあったり、不登校を経験していたりと、みなさんそれぞれに生きづらさをもって来られています。カリキュラムのなかには、自由に活動する時間や、ヨガやコミュニケーションの練習の時間などもあるんですが、カリキュラムを任されることになり、メンバーの願いをみんなで叶えるというカリキュラムをつくりました。
誕生日が夏休み期間中だというメンバーさんは、中高生のときにはいつも学校で祝ってもらえなかったからお祝いされてみたいと打ち明けてくれて、みんなで本人に内緒でサプライズ誕生会の準備をしたことがありました。
なぜこうしたカリキュラムを考えたかといえば、もしかしたらここに集まるメンバーの方々は、学校に行けていなかったり、限られた人としか会えていなかったりして、人のために何かをしてあげる機会が少なかった人たちかもしれないということも思ったからなんです。人のために何かをしてあげて「ありがとうね」と言われて初めて、
誰か一人の声を聞いてみんなで達成するといったことは、コミュニティデザイン学科の授業で日々やっていたし、アイデアが出たときに、「いいね、それやっちゃおうよ!」と言えるフットワークの軽さは、学科で学んで今も役立っていることだなあと思います。
すぐに言葉にならなくても、素敵だと思う「直感」にはきっと意味がある
――今後やっていきたいことなどはありますか
加賀谷:助けてくれる人や支えてくれる人って地域に案外いっぱいいるんだよということを知ってもらい、人と人とをつなげられたらいいなあと。私自身、大学入学で仙台から山形に引っ越して一人暮らしをしましたが、たぶんあの学科に入っていなかったら地域とのつながりもあまりもてなかったし、もちたいと思わなかったと思うんです。
自らつながりにいく経験をさせてもらったおかげで、家族のようにお家でごはんを食べさせてくれる人や、山に行こうと誘ってくれる人たちがたくさんいらっしゃることを知りました。その人たちは決まりのなかでやったり、お金が欲しくてやったりしているんじゃなく、その人のためにもなるからやっているのかなと思うんですね。今は行政や福祉の制度上の決まりで動けないこともありますが、地域にこれだけ助けてくれる人がいるんだということを、もっと見えるかたちにできたらいいなと思いますね。
あとは大学時代に、コーヒーや日本茶を振る舞う「コミュニTEA(コミュニティー)」という活動を友人たちとしていたんですね。活動が始まったきっかけは、卒業研究の審査会などで教授陣がズラッと並ぶなか学生たちがプレゼンするんですが、あの緊張感のみなぎる空気をどうにか和らげたくて、お茶を出したらなごむんじゃないかと(笑)いつか山形に戻ったら、いろんな知識を身に着けた大学時代の仲間たちと、一緒にまた何かをしてみたいなあという思いがあります。
――最後に、高校生の方々にメッセージをお願いします
加賀谷:私が芸工大に決めたのは、高校3年生で進路に迷い、仙台の丘の上にある高校の校舎の廊下を歩いているときでした。そのとき、仙台の街を一望できる方ではなく、山の方に行きたいなと直感的に思ったんです。当時はなんとなくそう思ったんですが、山には自然があり、自然とともにある暮らしやものづくりがあり、それは自分がもともと関心をもっていたものだとあとから気づきました。
コミュニティデザイン学科を選んだことや、住まいとして選んだアパートの大家さんなども、実はそうした関心とつながっていたんです。私が素敵だと思ったものには意味があり、素敵だと思った人とつながることで、どんどんつながりが拡がっていたんだなあと。だからもしも今高校生で、行きたい大学があるけれど理由がうまく言えなかったり、直感的に行きたいと感じている場合は、周りの人にはとりあえず今の時点で言えることだけを言って、まずは前に進んでみると、あとからわかることもあるように思います。直感は根拠がないと思われがちですが、それまでに経験してきた喜びや失敗を通して自分のなかから湧き上がってくるものなんですよね。それって何よりもピュアなものなんじゃないかなあって思いますね。
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質問を投げかけると、じっくり考え、言葉を丁寧に選んで返してくださる加賀谷さん。学生時代にまちづくりに関わる一方で、自己と深く向き合いながら関心や疑問に立ち戻ってこられた時間は、目の前の人にじっと耳を澄ませる今の佇まいの大切な土台になっているように感じました。また、自身の経験や感性を受け入れて直感的に物事を判断することは、自己を肯定していくことでもあるように思います。それは、ひとり一人を肯定する福祉のあり方と重なって見え、加賀谷さんの自他への深い信頼があたたかく伝わってきました。
(撮影:根岸功、取材:井上瑶子、入試広報課?土屋) コミュニティデザイン学科の詳細へ任你博 広報担当
TEL:023-627-2246(内線 2246)
E-mail:public@aga.tuad.ac.jp
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